もういない人間の言葉として,遺書はある。だが,電子上に残された言葉は,生き続ける,遺書であっても。言葉は死なない,そして,言葉を紡ぐ人も死なない,この地では。
秋田市の無職少年(18)が,自分のホームページに「これから飛び降りる」と書き,その直後にマンションから飛び降り自殺をしていたことがわかった。自殺をした前後には,少年のページを見た数人から,秋田県警に安否を問う電話が複数寄せられており,ページ上で自殺を予告するかたちとなった。
遺書。「腐れ同盟の皆さんならびに僕にかまってくれた皆さん 本当にありがとうございました。僕は今まで友達もいなくて誰も信頼できなくて ずっと寂しかったです。…その他会員の皆様,色々とご迷惑おかけしました。僕は今日自殺します。自殺するので僕の本名なども公開します。僕も普通に幸せに生きたかった。秋田県秋田市の、マンションから飛び降りる予定です。-といいます。両親へは特に何もありません。こんな事になるのなら生まないでほしかったです。本当に,さようなら。短くて苦しい18年間でした。会長ガクト」
少年のページは,警察からサーバー管理者へ連絡が行き,削除されている。そのページに集っていた者たちの掲示板での会話は,リアルの会話より,重みがある。存在の消失,リアルの消滅。ワイヤードの彼の言葉を見ていると,まだ彼は,そこにいるような気がする。記憶と記録は同義なんだ。彼の言葉が残るかぎり,そこに彼は生き続けるのかもしれない。(詳細を書いたページのURLは沈めておきます)。
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